私たちが目指している研究

1.脊椎動物を通じて保存されている情動系神経回路の働きを探る

  情動(emotion)を操る神経細胞群同士のつながり(神経回路)は辺縁系(limbic system)とよばれ、海馬(hippocampus)、扁桃体(amygdala)、帯状回(stria terminalis)や脳弓(fornix)を含みます。この辺縁系の働きによって、私たちは喜びや悲しみ、怒りや恐怖といった情動を表現できるだけでなく、こうした情動を指標にして記憶したり、情動を原動力として行動を起こすことができるのです。


     過去に経験した情動の情報にもとづいて、今、直面している状況においてとるべき行動を選びとるのに重要な役割を果たしている神経回路は、大脳皮質−基底核回路 (Cortico-basal ganglia circuit)と呼ばれ、大脳皮質(cortex)、基底核(basal ganglia;線条体(striatum)と淡蒼球(globus pallidus)を含む)、視床(thalamus)からなります。外界の物理的な状況の情報とそれに伴う情動の情報が、それぞれ海馬と扁桃体を介してこの回路に入り作用を及ぼすことで、様々な行動プログラムに対応する特定の神経細胞群(神経アンサンブル)が形成されると考えられています(Grace et al., 2000, Brain Res Rev. 31、図1、図2)。しかし、この大脳皮質−基底核回路において、どのようにして特定の神経アンサンブルが形成されるかについての研究はあまり進んでいません。


      その理由のひとつに、従来の哺乳類における神経活動の計測方法である電気生理学的手法では回路全体の神経活動を一度に観察することが困難であることが挙げられます。最近、神経活動を可視化することにより、より広い範囲の神経細胞群の活動を観察できるカルシウムイメージング法が開発され、従来の電気生理学的手法では観察できなかった神経細胞群の活動様式を明らかにすることができる、と注目を集めています。この手法は神経細胞の活動に伴ってカルシウムイオンが神経細胞内へ流入する現象を利用して、カルシウムイオンと結合すると蛍光の強さが変化するカルシウム感受性蛍光蛋白質を神経細胞に発現させ、蛍光強度の変化を観察することにより神経活動を可視化するものです。しかしながら、哺乳類の脳は大きく、この方法で哺乳類の大脳皮質−基底核回路全体の神経活動を観察することはできません。


      私たちは非常に小さな脳を持つ淡水小型硬骨魚類であるゼブラフィッシュを用いて、脳全体の神経活動をカルシウムイメージング法で観察することでこの問題を解決しようと考えています。

     脊椎動物の中で最も単純な神経系を持つゼブラフィッシュでは、発生の過程で神経管が外側に開いていくeversionという動きにより、終脳の外側は海馬、内側は扁桃体、そして背側は大脳皮質に対応するようになり、この位置関係は哺乳類とは逆転しています(Wulliman MF and Mueller T, 2004, J Comp Neurol, 475, 図3)。またゼブラフィッシュの脳は成魚でも10mm以下と非常に小さく、脳全体の神経活動を同時に観察することが可能です。


      最近、私たちの研究室は、ゼブラフィッシュの終脳における大脳皮質相当領域に、長期的に記憶された行動のプログラムが、特定の神経細胞群によって読み出される過程を可視化するのに成功しました(Aoki et al., 2013, Neuron)。

     私たちはInverse Pericamというカルシウム感受性蛋白質をすべての神経細胞に発現する遺伝子改変ゼブラフィッシュに回避行動を学習させました。この学習で魚は、狭い通路を通じて行き来することができる2つの部屋に分かれた水槽に入れられます。赤色ランプを魚がいる方の部屋に点灯し、ランプが点灯している15秒間に反対側の部屋に魚が回避しなければ、魚にとって好ましくない刺激(嫌悪刺激)である軽い電気ショックが与えられる、という試行を繰り返すと、魚は赤色ランプが点灯するとすぐに、反対側の部屋へ回避行動をとるようになります(図4A)。

     このような回避学習が成立した魚を、脳の各部の蛍光強度の変化を画像変化としてとらえることができる顕微鏡の下に移し、魚に電気ショックを予測させる赤色ランプを提示しました(図4B)。その結果、学習してから30分後に回避行動を思い出した場合は終脳には目立った活動はみられませんでしたが (図4C-c、学習してから24時間後に思い出した場合には、終脳の背側の大脳皮質に相当する領域にスポット状の神経活動パターンが観察されました(図4C-d)。また、回避学習訓練の前にこの大脳皮質相当領域を破壊すると、回避行動を学習する能力や、学習した行動を短時間(30分)で思い出す能力には影響がないにも関わらず、長時間(24時間)が経過すると学習した回避行動を思い出せなくなることから、実際にこの領域に行動プログラムの長期記憶が選択的に書き込まれ、それが正しく読み出されることで、魚は最適な行動の選択を行っていることがわかりました。


      この、学習された回避行動に対応した神経細胞アンサンブルが観察された領域は、哺乳類の線条体に対応すると考えられている領域(Vd:dorsal part of the ventral telencephalon)に投射しています。今後、私たちは2光子レーザー顕微鏡と、高速に二つ以上の焦点面の画像を取得することのできるピエゾ式対物レンズを用いて、ゼブラフィッシュの大脳皮質−基底核回路全体の神経活動をカルシウムイメージング法により解析することで、行動プログラムが大脳皮質−基底核回路に学習によってどのように書き込まれ、また記憶を想起する際にどのように読み出されるのか、を研究できると考えています。

     私たちは、さらにゼブラフィッシュに、赤、青の二色のランプを合図として示すことによって、2つの正反対の学習のルールを学習させることに成功しました(図5A)。魚は、赤色ランプが点灯している15秒間に反対側の部屋に逃げないと電気ショックが与えられる「逃げろルール(Avoidance task)」と、青色ランプが点灯している15秒間、同じ部屋に居続けないと電気ショックが与えられる「とどまれルール (Stay task)」の二つのルールを同時に学習します。このように二色で異なるルールを学習すると、それぞれのルールにおいて最適な行動のプログラムは、二つの異なる神経細胞群の活動により別々に読み出されることがわかりました(図5B)。


     大脳皮質−基底核回路における行動プログラムの選択と意思決定がうまく行われないことにより、強迫神経症や統合失調症、自閉症などの疾患における固執、妄執、繰り返し行動などの異常な行動が生じてしまう可能性が指摘されています。私たちは脊椎動物の原型であるゼブラフィッシュをモデルにして、ヒトの精神疾患における諸症状がどのようにして発症するのかを知る糸口をつかむことができると期待しています。


      研究室では、さらにこの大脳皮質−基底核回路がどのように行動の制御に関わっているのかを、遺伝学、細胞生物学、分子生物学、及び生理学の手法を駆使して明らかにしようとしています。特に、近年発達がめざましい、光遺伝学(optogenetics)を用いた神経活動の操作とカルシウムイメージングを組み合わせることで、哺乳類にまで共通の行動プログラムの記憶形成のメカニズムを解明できると考えています。

 

2. 情動行動における手綱核の役割を探る